断言しよう。「過労死」は自己責任ではない。
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ZOZOの田畑氏の下記のTwitterでの「過労死は自己責任」発言が炎上したのは半年ほど前の2018年6月頃です。
つい最近、2018年12月12日に、Yahoo!ニュースで下記の記事が改めて流れてきて、個人的に仕事を辞めたかったタイミングに見かけて色々と思うところもあり、考えたことや調べたことを書き留めておきたい気分になりました。
自殺だから一義的に自己責任なのは当たり前でしょうが。上司が屋上から物理的に突き落としたりしたのですか? そんなに追い込まれても、会社なんて辞めて生活保護受ければいいわけです。あなた達、弁護士は訴訟になったほうが儲かるけどね。 https://t.co/2VXPMALFp1
— 田端信太郎 @田端大学塾長である! (@tabbata) 2018年6月2日
まあそりゃ炎上するよなと言うような発言の仕方ですよね。
言い方の悪さが半分な気もしますけど。
ただ、これは、断言させてください。過労死は、自己責任ではありません。
下記の記事の方が
彼に足りないのは弱者への想像力であり、社会的包摂への意志である。
と言うように、
「あまりにも想像力が足りない」と言わざるを得ません。
過労で正常な判断ができなくなっている人の、気持ちに共感することはできなくても、どういう状態になるか、少し考えれば理解できるはずです。
また、仕事を辞めるのって簡単じゃなくて、本当に辛くて、私も今でこそ、もう前向きに別の仕事や趣味に打ち込もうと思えるものの、鬱の時の追い込まれた精神状態では、「今後の人生、いいことあるさ」なんて一つも考えることができません。
正常な判断ができなくなるというのは、鬱の代表的な症状ですが、第三者が客観的に見て「絶対に逃げた方がいい」と思うことでも、メンタルがやられているとそんなことなんて毛頭、発想すらしないのが精神疾患なんです。
厚生労働省は10月6日、2017年版の「過労死等防止対策白書」を発表した。2016年度に認定された過労死・過労自殺(未遂を含む)の件数は191件だった。
191件の内訳は、脳・心臓疾患による死亡が107件、精神障害による自殺(未遂を含む)が84件だった。
数字の上では上記のとおりですが、その実態は、下記の遺族が描いたマンガで苛烈に物語られています。
「15時から深夜3時まで勤務。それから6時台の始発まで帰れず、8時前にやっと帰宅。その後12時には起きないといけない」こんな生活を毎日繰り返していたの?会話の最後には「地獄です」と書いてあった。
このような実態を見ても、「じゃあその生活から抜け出せばいいじゃん」、と言う短絡的な話には絶対に繋がりません。
「鬱は甘えだ」という発言と同じように、「自殺は自己責任だ」という言葉は、あまりにも暴力的で、無知で、無理解です。
まず、誰か1人が抜けてしまうと会社や店舗、営業所の運営がままならなくなると言う状況は、あってはいけないことだと認識されるべきです。
私が鬱の症状で悩んでいた時に、「死にたい」と感じてしまうような希死念慮は、当たり前のように浮かんでいました。もしこれが、過労死してしまった方々のように、「死んでしまいさえすれば、この生活が終わる」という状況だったらと想像すると、当たり前のように「死ぬ」という選択肢を選んでいたと思います。
誰にも相談できなくて、心療内科に行くという選択肢がなかったら、どうなっていただろうと、想像するだけで恐ろしいです。
過労死は、絶対に自己責任じゃありません。
1ヶ月は70時間12分、2ヶ月前は105時間47分、3ヶ月前は90時間22分
「過労死は自己責任」なのか? ZOZOTOWN田端氏に見られる過労死を繰り返す思想(今野晴貴) - 個人 - Yahoo!ニュース
例えばワタミの過労死してしまった24歳女性の残業時間は、上記の通りで会社も認めている事実です。
数値上、一番残業時間が少ない70時間だったとしても、月20日勤務として1日に3.5時間残業していることになります。
9時〜18時勤務と仮定すると、毎日21時半までお仕事していて、実質9時〜21時30分の11時間半労働です。
皆様重々ご存知だと思いますが、1日は24時間しかありません。
仕事に半日を捧げてそこから帰宅して健康な生活を意識する余裕なんてあるのでしょうか。
例えば、ワタミの渡邉氏は、労災認定が下りた直後に自身のツイッターで「労災認定の件、大変残念です。…彼女の精神的、肉体的負担を仲間皆で減らそうとしていました。労務管理できていなかったとの認識は、ありません」とつぶやき、国が過労死だと認めたにもかかわらず会社の責任を全面的に否定した。
何言っちゃってんの?ふざけてるの?
「仲間皆で」ではなく、「会社として」、真っ当な対処と考え方ができる大人が増えていくことを心より望んでいます。